いい加減めそめそするのをやめたい

 正月を実家で過ごすため、過去に何度か利用したペットホテルに電話をかけた。ピエールは毎食服薬するので、ひとりでお留守番ができない。

「ピエールちゃん一匹でよろしかったですか?」

 電話の受け手のお姉さんはただ予約内容を確認しただけだったのに、私の脳内ではべつの質問が聞こえた。ぶっこちゃんはもう、来られないんですか?

 

 四十九日が過ぎても、お骨をお寺に納めても、ふとした瞬間に「どうして、どうして」という考えが止まらなくなる。どうしてひとのお家の猫さんは闘病しながらも長生きするのに、あのこは毛並みも艶々でふわふわで、骨も丈夫で、腎臓以外は正常で、食欲もあったのに食べられなくなってしまったのか。どうして私はもっと家に居なかったのか。どうして最期くらい、療養食ではなく、美味しいごはんを出してあげなかったのか。あと1、2年もすれば新薬が出るかもしれなかったのに。どうして、どうして。

 

 納骨の日の夜、夢を見た。会社帰りに野良猫が仔猫をたくさん産んでいるところに出くわして、私はその中からあのこを探そうとしていた。そして仔猫たちと戯れ過ぎて終電を逃した。

 

 昨日の夜、夢を見た。私はまだテキサスのアパートにルームメイトと住んでいて、出張で1週間くらい日本に来ていた。ふと、あのこのお水とご飯を1日分くらいしか置いてこなかったことに気づき、慌ててルームメイトやテキサスにいそうな友人たちに連絡を取った。絶望した。そうこうするうちに、あのこがもういないこと、ご飯もお水も必要がなくなったことを思い出して夢の中でも泣いた。

 

 

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