ぼくのスター、わたしのスター

著名な方が亡くなると、SNSやオフラインの人々が話題に上げ、偲び、するとそれを「普段は思い出しもしないくせに」と揶揄する人たちが必ずと言っていいくらい、トゥイッター的なところでなんとなくこぼす。そういうのを見ると、思い出の人がもうこの世にいないという事実とはまた別なところでずんと重みを感じ、喉元が締まる。(そうした方々の心のうちでも、わたしが想像できたりできなかったりする動きがあるんだろうとは思うけれど)

「あの時はお世話になりました」直接的な繋がりがなくても、そう思われる瞬間が故人にあったのであれば、それは双方にとって財産なんだ。わたしもいつか、プライベートは不器用でどうにもならないかもしれないけど、せめてお仕事を通してだれかを楽しませる人になりたいな。たとえ名前も顔も知らないもの同士でも。

 

高校時代、わたしは熱狂的な巨人ファンだった。友だちとファンサイトを運営し、宇都宮の清原球場でオープン戦の試合が開催されれば、学校をサボって見に行ってた(ごめん)。携帯電話も特殊仕様のジャイアンツモデル。着信音はミラクジャイアン童夢くん。ラジオ中継を聴きながら、なぜかスコアブックをつける練習もした。学校は基本的に苦手なところなんたけど、友だちと野球の話できゃっきゃするのが楽しくてしょうがない、そんなjkが一番ライバル視していたのが当時中日を率いていた星野仙一監督だった。星野監督オダギリジョーさんのおかげで、岡山が好きになった。川上憲伸選手を見る目が変わった。ずっと注視していたわけではないけど、震災直後、楽天で日本一になった時は、いろいろな想いが募って思わずもらい泣きしてしまった。星野さん、熱い野球ライフをありがとうございました。

 

大学進学のためアメリカに渡った際、最初に入った寮でルームメイトになった日本人の女の子がクランベリーズのファンだった。彼女は高校時代も留学をしていて、最初からアメリカ文化に馴染んでおり、彼女が好きな音楽も食べ物もテレビドラマも、ふつうの日本人の女の子だったわたし(いや、どうかな)には新鮮に映った。寮の部屋はワンルームで、2段ベッドとデスクが2台設置されただけの狭くてシンプルな造りのため、いずれかが音楽をかけたらそれを共有することになる。お互い好みの音楽と、そうでもない音楽があったと思う。クランベリーズはそんな環境で、延々かけっぱなしにしていた音楽のひとつだった。わたしの大好きなイライジャ・ウッドも、クランベリーズのファンだった。ドロレスの声を聴けばいつでも、若くて失敗ばかりしていた日々を思い出す。わたしはあまりいいルームメイトじゃなかったかもしれないけど、ロズウェルルートビアが好きな彼女に、今度連絡してみようと思う。

 

フランス・ギャル。あなたはずっと、わたしの"恋するシャンソン人形"。「日本語や英語のうたじゃ歌詞につられて作業に集中できない」という理由が最初だったと思う。大学時代、わたしは街の中古CD屋さんへ出向き、フレンチポップを探しに行くことがよくあった。当時フランス映画にはまっていたため、ブリジット・バルドーセルジュ・ゲンズブールといったヌーヴェルヴァーグ時代の歌手はもちろん、コンテンポラリーカミーユ、Holden、Air(エール)、Stereolab(拠点は英国だけど)などなど音楽の世界を広げていった。まずはブリジット・バルドーのセクシーで妖艶な容姿とコミカルなうたのギャップに心を掴まれ、フランス・ギャルの妖精のようなアイドル性に魅了されていった。あまりに憧れすぎて、フランスにぶらり一人旅しに行ったこともあった。そこでいろんな失敗もして、ばかだったなあとは思うけど、あの国はなんでもかんでもフランス映画風の思い出にうまく変換して、振り返るたび胸の奥をこしょこしょとくすぐる。悪くない。ブリジット・バルドーフランス・ギャルは、わたしに女の子の冒険を教えてくれたきれいなおねえさんだ。

 

先週の「ジェーン・スー 生活は踊る」の高橋芳朗さんミュージックプレゼントコーナーは、フランス・ギャルの追悼特集(「追悼フランス・ギャル〜彼女がJ-POPに与えた影響を聴く」)、として明日の放送はクランベリーズのドロレス特集。聴かなきゃね。

 

 

 

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